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パリの明日、大統領選の夜。

2012/05/08 21:38

 

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「パリの明日、仏大統領選の夜」

ブログを書かなくなってからあっというまに時間が過ぎてしまった。まさに光陰矢のごとし。滞在許可書に約200ユロー必要とか、アパートの溜まった管理費1800ユローを請求されるとか、安定した生活を構築するのに忙しかった。おカネにならないことに時間を割くのはむつかしい。

フランスは貧富の格差が激しくて庶民の生活はますます苦しくなっている。国の財政も苦るしからとれるところからは締め上げても取り上げようとする。

先日は最近その残した業績への評価が高い社会学者、エール・ボールデュへのオマージュとしてオデオン座で開かれた講演会を聞きにいった。確か死後10周年記念。テーマは「全面的な不服従」と、もう一つはなんと「階級闘争」であった。劇場はほぼ満員。こうしたテーマが人を集める。そういう状況があるのだと思った。

1%のブルジョワがフランスの富を牛耳り〔確かそう聞いた〕、メディアなどを通じて、彼らのライフスタイル、ファッション、価値観を、それを社会の規範にしている。非常に暴力的である。

パリの最高級住宅地区であるNeuily(ヌーイユ)についても触れていたが、ここの住民は見ただけで、服装は勿論、、身体的な感じ、体つきが他の地区の人たちとは全然違う。肥満児は100%いない。友人に聞いたら、Neuily(ヌーイユ)はフランスの中のまた別の富裕国のようなものだといった。

労働者階級出身の子供たちはまず身体的にブルジョワの世界に入っていけない。だから上級高等学校に進学する事は自ら諦めてしまうという。フランスでは労働者の家族は労働者を富裕家庭はエリートを再生産し続ける社会システムが出来上がっているという事らしい。ボールデューはサルトルのアンガージェ〔社会参加〕の思想は知識人の枠組から抜け出ていないと否定したらしい。

5月6日、フランス大統領選の模様を逐一伝える生中継を夜中まで16時間ノンストップで見続けて、ひどく感動した。政治はドラマだと思った。

サルコジとオランドが直接対決した2時間以上に及ぶ論戦の実況中継もおもしろかった。

お互い一歩も譲らず、まさに激突、フランスのトップの知的水準はすごい。全てのことが頭の中に漏れなく入ってる感じだ。知的ボクシング。ボクサーが解説している記事もあった。

勿論、後ろで補佐する官僚などいない。一対一の激論である。少しでも明晰さを欠いたら敗北だ。言葉の国、コメディーフランセーズの国なのだと改めて思う。

選挙結果は最後までサスペンスでサルコジが逆転するかもしれないという予測もあったがオランドが52%近くで勝利した。おもしろかったのは、投票結果が最後まで完全に伏せられていて、発表時の20hになったらTV画面に二人の写真がぱっと流れて、その下に投票数がでて、司会者が新大統領はオランド氏ですとさらっといっただけだったこと。フランスっぽいと思った。

バスティーユ広場にはオランド支持の大群衆が集まり、すごい熱気で三色旗、赤旗が夜風に翻り、なんかフランス革命をみているような気にさせられた。オランドは「正義」と「若者」をキーワードにした勝利演説をした。メリハリがきていて観衆を引き込む。感動させられてしまった。。

すぐに失業者数が減ったりドイツとの関係が変わったりする変化はないだろう。教師数をふやしたり年金が受け取れる年齢を60歳に引き下げたり国の歳費を増やす政策だからギリシャやスペインの二の舞になるというサルコジ支持者の主張に不安を抱く向きもある。オランド支持というよりサルコジに辞めてもらいからという人も多かったといわれる。

しかし、1981年のフランソワ・ミッテラン以来の社会党大統領の登場でフランスの時代の空気は変わるだろう。

サルコジは当選祝賀会をシャンゼリゼにある最高級レストラン、フーケに財界人、芸能人を招いて派手にやったが、オランドは地元の演説舞台上でアコーデン弾きがラビアン・ローズを演奏して祝福したのみ。車もリムジンではなかった。

今一ユーロが約105円前後、最近郵便局で円を替えようと思ったら、聞き間違いか、担当者の勘違いか、円はメリットがないので郵便局では取引を止めていますと、そういわれたと思ったので、そのまま帰って来てしまった。

円で稼いでいれば得だった時代、日本人の団体観光客も多かった時代、状況は様変わりしてしまった。恵まれた駐在員を除けば貧苦に耐える在パリの日本人に会う事も多くなった。バブル時代をのぞけば昔からそうだったのだから、ある意味で当たり前の状態に戻ったのかも知れないがー。

時代は変わる。さて、どう生き残っていくか。それが問題だ。姉が84歳のラジオ・パーナリティ、二宮チエの自伝「明日もある。あさってもある。」という本を作った。がんばりたい。完。

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ダウン症俳優の名舞台。

2012/03/04 17:56

 

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「ダウン症の俳優による名舞台。」

寒波も過ぎて春はそこまで来た。パリの陽気は和らいでいる。2月の寒さは凄まじかった。零下7度の朝は死ぬかと思った。地下鉄構内にホームレスが急増した。これもすごい光景だった。外で夜を過ごしたら凍死は間違いなかった。町に人影はまばら。家にこっもってひたすらじっと耐えるよりはなかった。

この間、すごい舞台を見た。作品はValere Novarina(バレリー・ノバリナ)作、Cedric Orain(セデリック・オレイン)演出「Sortir du corps(身体の外に出ること)」、L’oiseau-Mouche(小鳥)という劇団の公演である。

場所はMaison des Metallos(鉄鋼労働者の家、94 rue Jean-Pierre Timbaud,11)。鉄鋼労働組合のアトリエを改築。太い鋼鉄とガラス張りで出来たユニークな劇場だ。周辺は新デザインの店が多く先端をいく若者の集まる地区になっている。

作者のValere Novarinaはソルボンヌ大学で哲学を学んだ後、劇作家になった。1947年生。

同氏の戯曲は日常の言葉で成り立っていない。登場人物の台詞はモノローグに近く、面白い隠喩に満ちている。誌的な言葉で強いイメージの喚起力がある。会話というより、そうしたモノローグがぶつかり合いショートを引き起こす。それでドラマが展開していく。

手垢のついた平凡な言葉を徹底して排除。でも、喚起されるイメージによって意味をつかむ事は出来る。普通の映画を解体してしまったゴダールの方法と共通するところがある。現代仏演劇界の特異な才能だと思う。

舞台奥の方に透明ビニールの幕が垂れ下がっている。此処から俳優は出入りする。

大柄の男優が登場。昔のシェークスピアー劇のような衣装。身体的特徴が異様で普通ではない感じ。演劇についての事柄に関する長い台詞を立て板に水という感じで長々と語り続ける。続いて今度は小柄な男優が登場する。明らかにダウン症の身体的特徴。ショックだった。先に出てきた人は軽症だからよく分からなかったのだ。後、女優2人、男優一人が出てくるが、一人の女優を除いて皆ダウン症のようである。

この劇団はダウン症の人をプロの俳優とし起用している劇団だったのである。内容は日常と演劇の関係、演劇の根源に関する記述、分析である。そう書くと哲学論議にように思えるが、決して退屈な話ではなくユーモア、皮肉が活きていた。

普通の俳優でもこなせるかどうか疑わしい隠喩に満ちた長い台詞である。演技は見事だった。普通でない戯曲のおもしろさがすんなりと伝わってくる。観席は満員でよく笑い楽しんでいた。ダウン症の人の中にはこうして俳優として舞台に立てる人がいるのか。目の前で繰り広げられている事が信じられない。彼らは普通の俳優のもっていない“何か”をもっている。

ノバリナの徹底して形而上的な言葉が、普通のコミュニケーションを奪われた俳優の身体で血肉化されて、観客の心に響いている。

観客は社会福祉、慈善活動の一つとしてではなく、演劇として感動させられていた。ブラボーの大拍手。すごいと思った。観劇後、客の一人が話しかけてきた。“普通の俳優だって覚えられそうもない台詞を、すごいですよね”。

他にこれを越える強烈な印象を残す演劇公演はなかった。個人的にはパリ演劇界、今季シーズン最大の収穫だ。この劇団の活動に注目したい。

演劇以外でよかったのは、玉三郎演出による「鼓童」の公演、圧倒的な迫力でパリの観客をノックアウト。オーバースタンディングの大拍手が鳴り止まなかった。〔完〕

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パリの年末年始、レ・ミゼラブル。

2012/01/10 08:34

 

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「レ・ミゼラブル」

私的には最低の年末だった。一挙に極貧に陥ったからである。再生を目指してAllocation=生活支援手当てを受けている。その生活調査に返事し忘れていたら中止の通知(昨年1124)が来た。焦って翌日すぐに必要書類を持って役所に駆け込んだ。それで安心していたら窓口の醜女がそれを3週間近くも放置し担当者に回してなかった。入金がないので変だと聞きにいって、それが分かった〔125日〕。死活問題だ。責任者の女性が出てきた。「緊急処理する。5日位内には解決する」といった。それで再び安心したが、10日過ぎても音沙汰なし。また談判に出かけたら〔1220日〕、今度は納税証明書が必要だといわれガックリ。神経が磨り減った。刑事裁判をキッカケに病気となり社会的に転落。パリの最底辺社会をさ迷い続けた後、やっと普通の生活を築く入口まで来ていた矢先なのにな。苛立つ。

勿論、スミマセンはない。フランス人が絶対に謝らないというのは本当である。先日、スイス航空機が滑走路をオーバーランする事故があった。TVニュースを見てたら応対者は怒る客にスミマセンと絶対に言わなかった。スミマセンという潤滑油がない社会だとしたら、その代わりは何だろうかと考えた。多分、力関係。強制力しかない。だから何でも裁判になるのだろう。権利と権利のぶつかり合い。

困って市の福祉課に相談にいった。そうしたら 一週間75ユーロを二回と食料無料援助1週間分二回のチケットを出してくれた。食品無料配給に来ている人の大部分はアフリカ人。中には子供連れもいる。TVで見るアフリカの難民キャンプにいる気がした。屈辱感はあった。しかし、生き延びなくてはならない。自尊心は破いて捨てた。食品は殆どが缶詰かパスタ。小麦粉を奨められた時、アフリカ人はこれでクレップ風のパンを作るからだと思った。何故か歯磨き、歯ブラシ、石鹸、シャンプーもくれた。

クリスマスイブは家族で過ごしてプレゼントを交換し合う習慣である。カネがないのが惨めだった。クリスマスプレゼントも買えないし。絶望で目の前が真っ暗だ。

パリをぶらつく。人通りはすくない。偶然にユースタシュ教会(1区)のミサにぶつかった。パリで最も好きな教会の一つだ。カトリック教会によくあるゴテゴテした豪華さがなく慎ましやか。といって質素でもない。高い丸天井を見上げると昇天していく気分になる。ゴチック様式の名建築だと思う。特に内部は美しい。

参列者は500人くらいか。初め(19h)から最後(22h)までつきあった。高齢者が多い。豊かで幸せそうな家族連れもいる。羨ましい。正装の人が殆ど。日本の正月と同じである。

僧侶たちの入場、それに付き添う天使の如き子供。タイミングよく演奏される流れるパイプオルガン。聖歌隊の合唱。厳かな神父の説教の間に賛美歌が入る。参列者全員が歌う。「私たちは闇を歩いている。光を与えたまえ。アーメン」。 

全ては緻密に計算されている。見事な演出である。ミサでは音楽が重要な役割を負っているのも改めて認識。

そうキリストが生まれた夜なのである。処女〔マリア〕が純潔のまま救世主となる子供(キリスト)を孕み出産した。

すごいフィクションだなと思う。世界のカトリック信者は20億人だ。フランスで社会福祉制度が充実し発達しているのもキリスト教の影響が大きいからかも。バチカンの法王はイブがプレゼント交換中心で物質的になりすぎていると戒めた。終焉後、教会の蠟燭を貰った。外に出るとベッケットの芝居に出てきそうな車椅子の乞食がカネをねだっていた。

大晦日は騒いで過ごすのが習慣。シャンゼリゼ大通りをした。照明に浮かぶ凱旋門とコンコルド広場の光り輝く大観覧車。その一直線で結ばれた対比の美しさがすごかった。豆電球で飾られた屋台も並ぶ。並木に飾られたイリュミネーションは華麗だった。お伽の国のようである。高級レストランの前には行列が出来ていた。群集が一斉にカウントダウンをして24時を回ったら見知らぬ人同士でもBonne annee (新年おめでとう)の抱擁を交わし合う。それまで食事をしながら過ごそうというのだろう。人出は30万人。

今年フランスは国会議員選挙と大統領選挙の年でもある。競争候補者同士の苛烈な蹴落とし合いが始まっている。社会党の候補オランドがオフレコでサルコジ大統領を「汚い野郎だ」といったとかで大騒ぎ。パキスタンへの潜水艦売却を巡るサルコジ大統領の汚職疑惑も飛び出している。刑事裁判でフランス人の相手は蹴落とす為にあらゆる汚い手を使ってきた。横領だけでなく秘書強姦の噂もばら撒かれた。

新年に公開された新作映画で話題になっている作品が3本あるが、全て貧困と不安な時代を反映させた話である。これについては次回書いてみたい。

新年に入ってからカネの問題はやっとなんとか解決した(今年1月10日)。約一ヶ月以上もかかった。日本円にして35千円位(諸雑経費を抜いた手持ちのカネ)で乗り切れた。年末年始にカネがないのは苦痛の極みである。それでも振り返ってみれば生き抜けるもんだという気持ちと、それなりに楽しみも見つけられた。人生諦めてはいけないのである。田舎で暮らすフランス女性から「私もカネが大変で、新年おめでとう、そんな気分ではなかった」というメールがあった。栗毛で瞳は緑。肉感的な美人系だ。恋人にしたいと考えていた。どうなるかは分からない。将来を悲観的に考えているフランス人は60%に上る。人種差別=極右政党FNが大統領選で30%以上の支持率を得る可能性もあると左翼系一流紙リベラション紙が一面トップで報じた。〔完〕。

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「フランス庶民の夢物語。」

2011/12/22 06:16

 

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フランス庶民の夢物語。」

空前の大ヒットで話題となっている自国フランス映画がある。タイトルは「Inthouchable」。直訳は「アンタチャブル」しか思い浮かばないが、米映画の同名映画とは全く違う内容だ。Eric TaledanoOlivier Nakacheの共同監督。 

112日ので公開から僅か2週間で200万人を動員、7週間で1400万人を突破。未だ続映中だ。

主演はベテラン人気男優Francois Cluzet(フランソワ・クリュゼ)と黒人の新人男優Omar Sy.(オマール・シィ)。社会派っぽさも織り込んでいるが、フランスで人気の高いコメディー=お笑い映画である。

話は単純。身体障害で車椅子の生活を送っているフィリップという億万長者がいる。彼は介護人を応募する。その中に型破りの黒人がいる。ドリスと女っぽいやさしい名前だが体格のいい黒人青年。移民街に暮らし軽犯罪で逮捕された事逮捕された事もある母子家庭の息子である。母親はビルの掃除婦だ。貧困に疲れ切っている。

フィリップはドリスが気に入る。偽善=建前でなく本音で接してくれるからだ。フランスも日本と同じ建前社会である。二人の間に暖かい人間的交流が生まれる。億万長者はカネだけの人間関係に孤独だった。芸術鑑賞と未知の女性との文通が慰みである。脇役に芸達者な喜劇俳優を配し、へそまがりなギャグで笑わせる。フランスは階層差別がすごいくカースト社会といってもいい程。その余りにも違う世界の落差も笑いのネタにしている。庶民が憧れるな豪華な場面も頻繁に出てくる。例えばドリスがフィリップに海を見せようと高級車をぶっ飛ばして最高級バカンス地ドービルまで連れていき、海辺の高級レストランでフィリップを文通相手の美女に会わせるのだが、そのリッチでエレガントな場面にため息をつく庶民は多いだろう。コメディーフランセーズの横にあるカフェも億万長者の待合せ場所として出てくる。知っているカフェなので金持ちの来る処だったのかと驚いた。

全編クリシェ(陰画)だらけで荒唐無稽。だが、お笑い映画としてはよく出来ていて飽ない。俳優の演技力も大きい。観客を見事に丸め込む。「アンタチャブル」というのはインドカースト制の「触れられない民」を指す言葉からつけられているようだ。

社会現象として様々な意見があるが、哲学教授Jean Jacques Delfour(ジャン・ジャック・デルフール)の論評(リベラション紙掲載)が一番面白い。抜粋を書いておきたい。

「富豪が幸せでない事を見るのは気が楽になるものだ。幸せはカネで買えないという格言である。富豪で身体障害者よりも健康で貧乏ので方がいい。それは拡張する貧富格差が生む社会的緊張感を和らげる。黒人青年の貧乏も非行も度を抑えている。富裕層が富を獲得する為の暴力性や階級の問題は避けられる。黒人キャラは黒人は陽気で素朴な好人物だという先入観から作られ、失業しかなく疎外され忘れられ屈辱的な社会的存在だという事実は埋葬される。親しみを抱く感情に訴えてフランス社会の現実を隠している。

大ヒットの一つの理由は現代のシンデレラ物語だからである。この女嫌いの童話は搾取された貧しいが女がどう人生を変えられるかを教えている。下女が美人だけでは充分ではない。綺麗なドレスとシューズ、高級車が必要である。しかし、それでも充分ではない。素性構わず魅力的な女性を探す王子というチャンスがなくてはならない。童話のメッセージは単純である。反抗は意味がない。幸運の力は化粧の美しさと偶然にだけあるという訳だ。ドリスは卑小化されたシンデレラなのである。

もう一つの理由は身体障害者の利用にある。車椅子に磔にされた聖なる存在だ。批判は封じられる。ドリスも社会的な不具者であって身体障害者フィリップに(金銭的に)ぶらさがっている。だが(社会的,身体的な)失敗は偶然でしかないから許される。身体障害者はだれも反対できない同情を引き起こすものである。過度になりがちな憐れみの情をギャグが抑制する。フランス社会の現在の困窮に対して、これしかないという満場一致の賛同を強要している。

社会の頂点にいる傲慢な人間と退廃し零落した人間。両者の出会いは贖罪なのである。宗教的な映画なのだ。金持ちが出会いを可能にした。それが神の存在であると言っているからである。完璧に反動的な映画作品だ。」

サルコジ大統領はの映画の主演俳優たちをエリゼ宮に招待したが、半年後に迫った大統領選挙での支持率は24%で社会党候補オランデ氏の27%を下回っている。人種差別主義の極右FNの女党首マリーヌ・ペンは20%台のハイアベレージで3番手につけている。

年の暮れ、シャンゼリゼ大通りのイリュミネーションは夢の如く美しいが、巷には不況風が吹いている。仏国債の格付けがAAAからAAにワンランク下がり、失業者数も来年6月までに300万人を突破するのは確実という。フランスで貧富の格差はますます大きくなっている。シャンゼリゼ大通り界隈では20歳前後の若い街娼が目立つ。フランスの現実は厳しい。(完)

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フランスの出会いサイトの女たち。

2011/11/12 00:45

 

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「フランスの出会いサイトの女たち」

特に恥じずべき事でもないのに、うしろめたい気がするのはどうしてだろうか。

フランスの出会いサイトで女友達を探す事である。現在、フランスでは出会いのサイトが大ブームだ。色々な名前のものがある。例えばダーリング、オンザデイト、アダリュテール(不倫)、バドー(意味不明)、リヤッド(意味不明)など、中には離婚した親同士の出会いサイト「Les parents」というのさえある。。正確な数は知らないが相当あるのは間違いない。

ブームの走りとなったのはMeetic(ミーティック)というサイト。日本語版に限らず今や世界中にネットワークを張り巡らしている。当初は真面目に結婚の交際相手を探すものであったらしい。しかし、最近はセックスが目的になっている。

真面目的なものには他にPoitcommun(ポワン・コマン)というのがある。これはカルチャーの趣味と情報交換を通じて交際相手を見つける。一流の全国紙リベラションのウェブサイトに堂々と広告が載っている。

病気になり離婚されて淋しかった頃、友人からなんとムスリムの男がMeetic(ミーティック)で結婚相手を見つけたという話を聞いた。それで思いつきフランス語の書き方の勉強にもなると思い登録した。一ヶ月33ユーロ。

このサイトには10ヶ月くらい滞在。しかし美人が少ない。またすぐ寝るタイプが多く嫌になり止めて、カルチャーのサイト”Pointcommun"に登録変更して約一ヶ月滞在した。値段は39ユーロ。

まず驚くのはビジター(訪問者)の女性の数の多さである。数日で200人とか来るのである。日常では考えられない。信じられない。

写真を見て美人で気に入ればメールを出す。言ってみればレターフレンドみたいにして始まるわけ。すぐにセックスの話をすれば交際してもらえない。フランスは男前よりも言葉で女を口説く。女と寝たければ口説きに口説き続ける。

舞台にはベッドが一つだけあって、後は男がセックスを承知させるまで女を口説き続ける会話のみという芝居があって人気を得ていた事があった。まさにそういうことなのである。日本の”ほだされる”というのとは違う。フランス人の言葉に対する生理感覚は日本人と大分違うのかも知れない。流れるような口説き文句を聞いて気持ちよくなって、セックスに繋がっていく。そういう感じなのである。美男のイタリア語聞いているだけで完全に濡れてくるという女の話を聞いた事もある。ともかく気の利いたことをいえなければ交際して貰えない事は確か。お陰で大分フランス語文章の勉強にもなった。

ミーティックで知り合い交際した女性は次のようである。

1、アルザス出身で国体にも出たという元体操選手のブロンド。2、旅行代理店で働いていた赤毛のユダヤ女性。

3、小説・俳句を書いていたフランス語の高校教師。4、ゲバラに傾倒しペルー人の革命活動家と結婚し南米で暮らしていた黒髪の元教師。5、セネガルのフランス高校で地理を教えていた栗毛で背の高い女性。

ポワン・コマンでは最後となった一人だけ。貴族の血を引く金持ちと結婚していたという見事なプラチナ・ブロンドである。彼女は地中海のような深くて綺麗なブルーの瞳をしていて、多分一番美人だったかもしれない。他にも何人かの女とお茶をしたりしたが、それだけ。サイト以外では図書館ですごく可愛いチュニジア女性と出会った。

別にドンファンやプレイボーイを気取りたかったわけではない。どの女性とも真面目に長くつきあいたかった。

しかし、最初はいい感じなのだが、暫くするとお互いの我がままが出てきて、関係が崩れ始めるのである。例えば仕事ばかりしているとか、共通にやる事がないというな事である。セックスも最初はいいけど、すぐに今日は頭痛がするからとか言い出す。それで、ちょとした事で、あなたとがそんなんならもう続けたくないとか言い出される。仕事などはなかなか妥協できない。で、実際にある日もうあなたとはもう終わりとか宣言されてしまう。

2日前くらいまでは“私がついてるから勇気を出して”とか言ってくれていたのにである。快晴がいきなり大時化になるのだ。プラチナ・ブロンドの彼女とは夢のような一週間をパリで過ごしたが、住んでいるボルドーに帰って暫くしたら、パリで他の女と付き合いたがっているとか疑い出して。あれこれ言い合っている内に結局お互い面倒くさくなって別れることになった。西欧人の女性の嫉妬は一般には非常に強い。

チュニジア娘の場合は朝目が覚めたら居ないので電話したら、“あなたは私の体を乱暴に扱った。もう何の感情もない”で、それで電話が切れた。別れが何時も余りにも突然やってくるという感じなのだ。

しかし、交際したフランス女性に共通点がある事に気がついた。

1、年齢が30歳代後半から50歳前後。

2、離婚歴あり。

3、結婚したフランス男が駄目人間だったケースが殆ど。若い女と出来て子供も家庭も構わず家出しちゃったりとか。

4、その後もいい男にめぐり合うチャンスがなく、裏切られ続けられている。

5、高学歴。

6、愛戯巧みでセックス好き。が、私を娼婦のように扱わないでという気持ちが特別に強い。

彼女たちの事をセックスが氾濫している時代の迷子のように思うことがある(自分もそうかもしれないが)。

”つかの間の関係でセックスするくらいならカネを払ってもらった方がいい”出会いサイトで更に男に絶望してセミプロの娼婦になる女性が多い。そういう分析をしたフランスの社会学者の記事を読んだ記憶がある。本当なら限りなく不幸せだ。プラチナ・ブロンドで青い瞳の彼女が語ってくれた話が忘れられない。“義父にレイプされそうになったので、母親にそれを言ったら、お前は嘘つきだと平手打ちされた。”

19世紀末のパリにあった豪華な娼婦館の女たちを描いたフランスの新作映画仏新進監督Drame de Bertrand(ドラム・デ・ベルトラン)L’Apollonide(アポロニデ)」が公開されて話題になっている。主役級の女優たちはみな肉感的で官能的な美人だ。男だったら(誰でも?)欲しいと思うだろう。シャンペンを満たしたバス・タブでのセックス、梅毒で死んでいく美女、異常性欲者に口をナイフで切り裂かれる美しいユダヤ女。世紀末の退廃の甘い香りが漂ってくる。

美しい娼婦たちは見飽きない。が、映画は決して出来がいいと思わなかった。

ラストは現代になって娼婦館で主役の一人だった美人女優が町を流す娼婦役になって客の車から降りてくるところで終わる。だが、それが19世紀末の娼婦館の話とどう繋がるというのか。過去も現在も娼婦=女は男の性欲の対象というだけなら余りにも凡庸だ。

ちなみに、ニューヨークで高級ホテルのルームサービスの黒人女性に対する強姦未遂容疑で逮捕され無罪放免となった有力大統領候補だったDSK

今度はリール市の高級ホテルが高級コールガールを斡旋していた事件で、顧客の一人として名前が出て騒ぎになっている。

フランスの権力階級とコールガール。ネット上で性の荒野をさ迷う女達。フランス人のセックスにはデカダンスの匂いがする。(完)。

 

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パリの芸術シーズン。

2011/10/02 03:25

 

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「パリの芸術シーズンは(今が)最高潮」

パリで芸術シーズンとは9月下旬頃から6月下旬頃までの期間を指す。7月ー8月にかけて長い夏休みがあるフランスならではの括り方である。特に10月中旬頃から12月上旬にかけて最高潮となる。クリスマス休暇時期に下火になり、再び1月下旬頃から盛り上げ始めて5月に頂点を迎える。これが例年のパターンである。5月には世界映画界の大イベント、カンヌ国際映画祭がある。

日本では「正月映画」というように休暇期は稼ぎ時であるが、フランスでは春休みを除いて夏と冬の休暇時期はむしろ人気作品の興行は避ける傾向が強い。時間的な感覚ではフランスの夏バカンスは日本の正月はに近いと思う事がある。。 

夏の長期休暇で時間の流れを一度断ち切って、リフレシュして年を改めたような気持ちで新シーズンを迎える。

華のパリという言い方がある。この華が何を指すのかはいろいろだろう。しかしパリの芸術シーズンの華やかさを外すして考える事は出来ない。東京の三分の一の大きさしかない都会に東京と同じあるいはそれ以上の劇場、美術館、コンサートホール、映画館などの文化施設が集中している。作品も多種多彩で国際色豊かである。

しかもパリで高い評価を受ければ世界の寵児になる可能性が開ける。それだけのブランド力がまだ持っているのである。世界中から来たアーティストが暮らしているのもパリの芸術界に厚みを与えている。

そんな中で、パリ最大の国際前衛芸術祭であるFestival d’autonme,(フェスティバル・ドートンヌ)は、パリ芸術シーズンの中心である。

ここから世界的アーティストとしてデビューした人は多い。例えば、アメリカのボブ・ウィルソン、ドイツナ・バウシュ、ウィリアム・フォーサイス。今年で40年を迎える。映画、美術、音楽、演劇、ダンスと全てのアートジャンルを網羅、最前衛にあるアーティストを取り上げる。

プログラミングされた作品総数は約60。精選して収穫作、話題作を紹介したい。

全体の特徴は演劇が減ってダンス作品が増えた事である。

最大の話題作は1、ロバート・ウィルソンが,フランク・ウェドキン作「ルル Lulu )」を演出する舞台(市立劇場(Theatre de ville.114日から13日。19h30)。30年前に「浜辺のアインシュタイン」で世界演劇界に衝撃を与えて以来の常連。ロックのルー・リードベルリンアンサンブルと魅力的な組み合わせだ。

2、世界現代ダンス界の旗手ウィリアム・フォーサイスの公演「アーティファクト{Artifact}」(シャイヨー宮劇場(Theatre de Chaillot12 月15日から17日。20h30 )

3、現代音楽の巨人、ジョン・ケージJohn Cageのコンサート、作品「ヴォーカル曲 Œuvre vaocales )(Theatre de Ville.12月12日。20h30 )

彼らは大物アーティストで人気も高いので、チケットの入手は難しいかも知れないがトライする価値はある。

この他、今年の目玉は中南米の特集で、アルゼンチン、メキシコの現代演劇、音楽が上演される。未知だが発見が期待出来る。

中でもブエノスアイレスから招待されたロミナ・パウロ,Romina Paula)とエルシレンシオ(/El Silencio)演出による テネシーウィリアムズの「ガラスの動物園」を原案にした「El tiempo todo entero」(12月6日から24日。Theatre du Rond –Point.18h30 。同名作を南米のコンテクストに置換するとどうなるのか。注目したい。

また演劇では現代の大文豪ジョセフ・コンラッドの小説を原作にしたギイ・ケシエールGuy Cassiers)演出「Coeur tenebreux(闇の心)」(126日から11日。Theatre de Ville.20h30)。

それに独演劇界の挑発者ピーター・ハンケ(Peter Hamdk)の戯曲をフランスの新進劇団、コエ・カンパニーが上演する舞台「アウトレッジ(Outrage au public)(11月8日から18日。Theatre de la bastille.21h .この2作品が面白そうだ。

ダンスではフランスの新鋭女性ダンサー、メグ・スチュアート(Meg Stuart )の「Violet (紫色)」(11月16日から19日。20h30)。公演場所がLa menagerie de verre(ガラスの見世物小屋)という新しいオープンスペースなのも興味深い。

音楽ではメキシコの現代音楽を代表する女性ミュージシャン、マリア・ラビスタのバスティーユ・オペラ劇場でのコンサートが良さそうである。

ドートンヌ以外、今季のシーズンで注目したい作品として以下のものを上げておきたい。

オデオン座の新ディレクターに就任したであるオリビエ・演出のシェークスピア劇「ロメオとジュリエット(Romeo et Juliette)」(921日から10月29日まで。20h30)。仏前衛劇の旗手がどう古典を見せるか興味深い。

更に同劇場では次の注目作がある。

人気映画女優イザベル・ユペールが主演するテネシーウィリアムズの名作「欲望というの名の電車」(演出K・割り国府スキー(K Warlikowski11月ー1217日。20h30)。アレクサンドル・デュマ作「椿姫」(演出フランク・コストフ(Frank Castorf)2012年17日―24日)。

1区のシャトレ音楽劇場(Theatre  deu Chatelet)での和太鼓「鼓動」公演(2012年1月15,16,18日)。それに。現代音楽の俊英ジョン・アダムス(John Adams)作曲 の現代オペラ「中国のニクソン」(2012の4月10,12,14,18日)をお勧めしたい。

また谷口ジローの漫画を舞台化した舞台作品「遠い地域(Quartier lointain)」(モンフォーMonfor(劇場。9月7日から10月29日。20h30)

アラン・レネの名作映画 「二十四時間の情事 (デュラスの小説の仏原題は”広島、私の愛“)」の舞台化(アベス劇場(Theatre des Abbesses)。20124月10日から27日)。

また劇場としてはオデオン座、シャイヨー劇場、市立劇場、その向かい側にあるシャトレ劇場、コリーヌ劇場、アトリエ劇場、バンセーヌの森の中にあって、テアトロ・ソレイユの拠点としても有名なカルトシュ。

コンサートではシャンゼリゼ劇場、シテ・ミュージック、プレイエル劇場などが見逃せない。

ヘミングウェイはパリの青年時代を書いた小説を「移動祝祭日」と名付けた。パリの芸術シーズンは華やかな祝祭である。

                  完

 

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パリ・サバイバル

2011/08/28 16:43

 

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「パリ・サバイバル」。

パリの長い夏が終わろうとしている。でも長いと思うのはパリ居残り組だからだろう。なにしろ7月、8月の二ヶ月は町が眠ったようになる。

9月第一週からは新学期が始まる。早くも憂鬱な季節の到来の兆しがある。日没も早くなった。一気に秋、そして冬に雪崩れ込んで往く感じだ。

9月下旬からは新芸術シーズンが幕を切って落とす。映画、演劇と多国籍で多種多彩な作品が文字通り洪水の如く溢れだす。

貧しい生活の仕方がやっと身に付きつつある。

必須の月間出費は次の通りである。(1)、電気代:50ユーロ〔以下Eと記す〕。(2)、持ち家なのでアパート代はないが管理費が116E.(3)、住居税、毎月平均40Eの返済。(4)、国際電話かけ放題とネットの組み合わせの代金が58E.(5)、医師への定期診察費用:30E.(6),薬代:7E.

合計:301E.収入が現在約700E位しかないから約399Eしか残らない。

こうなると食を削るしかない。一週間30Eから40Eで賄えられそうな食生活というものを考え実行し始めている。

まず安い素材で量を作れる献立を考えた。それはは次のようなものである。

(1)、カレー。(2)、スパゲッティ・ミートソース。(3)、スキヤキ。(4)、しゃぶしゃぶ。(5)、パエラ。(6)、シュークルート。(7)、たまに焼き飯。

カレーはカレーの素が約5E,玉ねぎ一本が0,80E.他にピーマン、人参少々で足りる。肉はハンバーグの大きさのものが二個入ったパック(1,80Eからある)を買う。理由はもう一つの方をミートソース様に使える為だ。その他、ミートソースに必要な素材は玉ねぎ少々、それと大蒜で充分。トマトソースはプロバンス風〔2Eからある〕とかいろいろあるので、それと生トマトソース(0,80Eから)を混ぜ合わせる。

スキヤキはソースだけ(4E)買ってきて、後の具は地元のスーパーで揃える。中国製春雨(2,50E),棒ねぎ(0,30)、最近は真空パック入りの豆腐もスパーで売っている(3,80E).後はキノコ少々で充分。

スキヤキ用の肉はスパーで売っているガルパッチョ(5E)を買う。これはイタリア料理店で前菜としてメニューにある。牛肉を薄くスライスしたもので、オリーブオイルなどでそのまま食べる。これを買うもう一つの理由は、2パックは入っているので、しゃぶしゃぶにも使える為。

これをしゃぶしゃぶとしてキノコ、棒ねぎ、豆腐を入れて煮立てた鍋で軽く熱湯につけて、ポン酢(6E)で食べる。

スペイン料理のパエラは3-4人分の大缶詰を売っている(5E).ただ、これだけでは余り美味くないのでレモンと一緒に煮込む。美味くなる。

シュークルートはドイツ料理。市場に行くと蒸した酢キャベツを売っているので、それを買ってきて(3Eでかなり買えたと思う)、いろいろな好みのソーセージと茹たジャガイモを盛り合わせて、辛子で食べる。ビール(ハイネッケンは1,50E)との組み合わせは抜群だ。 

焼き飯は飯を炊飯器で炊きライスを少し冷ましてから、6枚入りのハム〔安いのは2E位〕の内一枚と玉ねぎ、それに大蒜、時には生生姜や人参も入れて醤油で炒めるだけ。

これらの献立は全て2-3回に分けて食べられる。冷蔵庫に入れとけば充分にもつ。

この他、量を作れるものとしてはアラブ料理のクスクスがあるが、美味いものが作れず今は諦めている。

単品も工夫次第で安く結構美味いものが作れる。

例えば12ダース入りの卵(5E位のもの)を買っておけば、かなりいろんな献立を考えられる。キノコと刻みベーコンを炒め、そこに卵を流し込んで作るオムレツ、あるいはハムエッグ、入り卵、卵ご飯など。卵は安いし、いろいろと使える。

また4枚入りの牛肉のパックが4Eくらいで売っているが、焼肉のたれをつければ家庭焼肉になるし、グリルしてグリーンピースとつけ合わせれば典型的なフランスのランチ献立となる。

生鮭の太めの一切れ(4E)を買って、さばいて刺身にしてわさびと食べれば、これも結構美味い。最近女友達に受けたのが生鮭を軽くフライパンで焼いてスパーで売っているイタリア風サラダ(3E前後)に盛って食べるやつ。ローゼワインの小瓶(3E)を買い暫く冷蔵庫で冷やして、それと一緒に食べたらかなり美味しかった。新レパトリーに加える積りだ。こんな簡単な献立でもテーブル、照明、ワイングラスとか演出しておけば大抵の女は喜んでくれる。それに量の豪華さより少なくてもクオリティーの高い方がシックである。

大金の横領罪で容疑者に仕立てられて〔パリで7年の裁判闘争後に無罪〕、転落する以前は平均週3回位の割合でパリの高級レストランで食事していた頃もあった。懐かしいが今は料理を工夫する喜びがある。服もアニエスBではなく蚤の市で掘り出し物を探す。結構楽しい。浮かしたカネは水準の高いアート作品の鑑賞費に使う。パリの新芸術シーズン、どんな収穫があるか楽しみだ。貧乏からは抜け出さなくてはならないが、一時的に貧乏でも工夫次第で楽しくやれるという経験を伝えたくて、これを書いておく事にしました。(完)。

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夏のパリ

2011/08/08 01:57

 

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夏のパリ

 なかなかマメにブログを書く事が出来ない。幾つか進行中のプロジェクトがあり、また日本映画のイベントも成功したので時間がない。一時、フランス社会の最底辺まで転落した頃から、まさに雲泥の差、天国と地獄の差がある。人生は良くも悪くも分からない。一寸先は闇である。全てはどんな人間と出会うか、不断の努力と運次第だと思う。フランス女性を遍歴する状態は不運ではあるが、まあそれでも女がいることは重要だ。

夏のパリは完全に表情を変えている。バカンスでパリ市民が出払っている。町は空っぽ。そんな雰囲気である。夏季休暇の期間は一般に3週間から一ヶ月。凄いよな。それでも世の中が回ってる。

雑踏が見られるのは観光スポットのみ。耳にする外国語には英語とイタリア語が多い。円高だろう。日本人の観光客も目立つ。大災害の後だけに違和感がある。でも人は生きていかなくてはならないし、生きる力を得るには 気持ちのいい事“がなければやっていけない。

夏のパリは何もないという人が多いが、考え方によっては素晴しいと思う。まず静かである。何処へ行っても行列がない。人も気抜けした感じだからいらいらしない。美術館も余裕をもって見れる。映画界は過去の大名作を復活上映するところが多くなるので、ファンにはありがたい。先日もルチノ・ビスコンティーの「ルードヴィヒ。神々の黄昏」をSt Germain広場の映画館St Germainで見た。凄い映画である。主演のヘルムット・ベルジュもロミー・シュナイダーも最高だ。ヨーロッパの貴族の家に生まれなければ、こんな作品は作れない。壮麗で話しの纏め方も巧み。名画の如き映像美にも魅了される。DVD鑑賞では味わえない大画面での醍醐味が堪能出来た。J,スコリモスキーの傑作「ディープ・エンド」も再上映されている。映画館は高画質の大画面で有名なマックス・リンダー。見に行く予定だ。

夏のパリに残っている市民の為に、数年前から「Quartier d’ete (夏のカルチェ)」という夏季国際芸術祭も出来て年々充実、人気を高めている。Invalide〔ナポレオンが眠る〕の中庭でのインド民族音楽のコンサートは圧巻だった。鉄櫓で組まれた重層の空間に数30人以上のミュージシャンがそれぞれ座っている。彼らが指揮者に合わせての大オーケストラ演奏であった。無料の野外音楽コンサートも幾つかあった。イギリスの若手女性歌手Lail Arad.フォーク、カントリーっぽい曲だった。可愛い子。もう一つはリュクサンブルグ公園でのイギリスのギタリストJustin AdamsとアフリカのJuldeh Camaraのジョイントコンサート。ブリティッシュ・ロック風の曲とアフリカ民族音楽の組み合わせ。踊りだす人が多かった。またパリには昔のヴィレッジ=村の面影を残す場所があちこちにある。女友達の案内でイタリア広場周辺を探索したが、外国の村を旅行しているみたいであった。

市営プールもガラすきで気分がいい。値段は3,50ユーロ。近くのカフェのテラスも余裕たっぷり。コーヒー代わりに注文するノワゼットは2、50ユーロだ。

セーヌ川岸では「La plage de Paris (パリの浜辺)」というのをやっている。これは岸辺に海の砂を敷き詰めて、パラソルを立て、アイスクリーム屋などの出店も出して、まるで海辺にでもいるような気分にさせようというもの。確かにリゾート地のようではある。

パリに残る市民は貧困階層が多いのは確か。自分もその一員である。しかし、知恵を働かせれば、夏のパリは最高である。殆どカネがかからずに楽しめる余地がある。気温も20度前後の日が多く避暑地みたいなのもいい。完。

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パリのカルチャーシーン。

2011/07/01 19:07

 

「パリのカルチャーシーン」

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パリのカルチャーシーン。この間、いくつか収穫があった。映画では二本。一つはJL・ゴダール「Vivre sa vie(生きる)」の新プリントでの再公開。初公開は1962年だから約半世紀49年ぶりの上映だ。白黒映画。主演はアンナ・カリーナ。愛人を理想化して、その肖像を夢中で描く画家。しかし実際の彼女は日々衰えていき、絵が完成した時には息を引き取ってしまう。そういうエドガー・ポーの小説を下敷にしている。

ヒロインのNanaは売り子。舞台女優になるのが夢だ。ドレイヤーの名作映画「ジャンヌ ダルク」が大好きである。しかし、カネに困窮してアパルトマンも追い出され生活の為に街娼をする。アンナ・カリーナはコケティッシュで可愛い。ルイス・ブルック風のヘアースタイルがよく似合っている。また当時のパリの街並みの雰囲気がなんともいい。有名な1968年カルチェラタン5月革命に先立つ事6年。現在のパリはガラス建築が増えて明るくなったが、この頃のパリには詩情があった。Nanaが夜のパリをあてもなく彷徨ってカフェで哲学者との人生談義をする場面も巴里っぽくていい感じ。偶然カフェで知り合った人と長話をするというのは僅かだが未だパリに残っている。パリの面白いところだ。最後、Nanaはギャングとのいざこざに巻き込まれてあっけなく殺されてしまう。「勝手にしゃがれ」を思わせる。  

アンナ・カリーナを熱愛していたゴダールが彼女の為に撮った作品といわれるが、そういう思いがストレートに伝わってくる。それにしてもフランスの美人女優のタイプはすごく変わった。今のフランスの美人女優にはそもそも娼婦っぽいタイプが多い。メディアではル・モンド紙が大きく取り上げ「監督と俳優の関係を見事に重ね合わせて描いた実存主義の映画」などと絶賛した。

もう一つは新作イラン映画Asghar Farhadi監督「Une separation (別居)」。ベルリン国際映画祭最高賞である金獅子賞の2011年度受賞作である。話は極めて日常的。離婚したい女性がいる。11歳の娘を連れて家を出て行きたいと思っている。しかし、夫はそれを認めない。娘は両親に別れて欲しくないと思っている。女は家を出る。困った夫は家事とアルツハイマーの父親世話の為に家政婦を雇う。ところが幼い一人娘を連れて通ってくるこの家政婦が問題を起こす。どうやらカネを盗んだらしい、父親の世話もきちんとしている様子がない。それで首にしようとして、外に追い出す。だが争い合いになり転倒させてしまう、それが原因で流産したと刑事告訴される。イラン女性の着る伝統的な服では妊娠してるかどうか分からなかったというのは皮肉になっている。

家政婦の夫は失業者の乱暴者である。離婚申請中の妻が保釈金を払う。テヘランで暮らす人々の日常的な人間関係の細部が巧みに描かれている。イラン人が今どういう社会に生きているのか。イスラムの道徳観の強い呪縛。貧富の差。そう言ったことがよく理解出来たと思う。判事が娘に父親か母親の選択を求める間、夫婦が廊下で離れて座って不安げに結果を待つというラストシーンもいい。主演女優Leila Hatami(レイラ・ハタミ)はフランス語学校出身の才媛で美人。彼女の魅力も人気に貢献している。注目したいイラン人監督である。

他では演劇で、サミュエル・ベケット作品「Fin de partie(ゲームの終り)」(演出アラン・フラコン、マドレーヌ劇場)。舞台はほぼ戯曲のト書通り。両壁に小窓があるだけの四角く狭い室内空間。トーンは灰色である。中央に盲目で車椅子に座りっぱなしの主人公クローブ。彼に奴隷のように使える召使ハム。時々、舞台前面にあるごみ箱から両親が顔を出す。演出は派手な見せ場など作らず俳優の力量を最大限に引き出す。俳優ば皆すごかったが、中でも特にクローブ役の役者=Jean Quentin Chatelainの芝居は天才的だった。。

ベケットの極めて平凡だが重い意味を感じさせるセリフを深みから説得力を持って聞かせる。完璧に魅了されてしまった。ル・モンド紙などは「こういう演劇を見れるとは、目と耳を与えてくれた神に感謝せずにいられない。至福の時間である」と大絶賛した。

演劇ではもう一本話題作品があった。米作家Russll Banksの小説を舞台化した「De beaux lendemens (明日は素晴らしき)」。劇場はBouffes du Nord. 創始者の鬼才ピーター・ブルックは80歳を期に潔く引退したが、あいかわらずここの舞台空間がすばらしい。舞台は装置はなく砂が撒き散らされているだけ。内容は交通事故にあって半身不随になった娘を巡って家族、関係者がマイクを前に其々モノローグしていくというもの。舞台全体の雰囲気は非常によかったが、立て板に水のフランス語にはとてもついていけなかった。フランス人の客だって何処まで理解できたのか疑問だがー。ただ、交通事故にあった娘を演じた若手女優(JudithChemla)のモノローグは綺麗に流れるフランス語の発音で、フランス語の美しさを再認識した。マイクの効果を上手く使っていた。こういうセリフ劇は現在の潮流なのかもしれないとも思った。

演劇ではないけれど、Theatre de la ville (市立劇場)で行われたポルトガルの伝統歌謡Fadoの大コンサートも最高だった。パリ市とリスボン市が姉妹都市であることの記念行事。新人からベテランまで5人の歌手が登場。特に女性歌手Cristina Brancoの優雅な美しさと美声に陶酔した。ポルトガルの観客は狂喜していた。Fadoを聞くと演歌を思いだす。

美術ではインド英国アーティスト、Anish Kapoor(1954年生)のグラン・パレでの大インスタレーション展「Monumenta2011」。大会場グランパレに入場すると、あっと驚く。突然異次元。航空機の翼空気孔に入り込んだというか。あるいは巨大なクジラの腹の中?。日常感覚をひっくり返される。空気孔のようなものが三つある。その途中から先がどうなっているかは分からない。素材はゴムで、長さ100m、高さ17,35m、タブローの大きさ22000平方mという大規模なものだ。弾圧を受けている中国人アーティストAli Weiweiへのオマージュ作品。内部から一端外に出て眺めると、それは巨大な球体である。すごいアーティストだと思った。

これからパリは二カ月に及ぶ夏バカンスシーズンに突入する。映画は旧作の再上映が主になり劇場も閉館する。文字通りパリの文化シーンは砂漠化する。しかし、その空白を埋めようとパリでは数年前から「Quartier d'ete 夏のカルチェ」という芸術祭が創設され内容のあるイベントに育ってきている。収穫がある事を期待している。()K.

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有力フランス大統領強姦容疑事件のデカダンス。

2011/05/21 19:37

 

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フランス大統領有力候補の強姦容疑事件」

社会党の有力な大統領候補でFMI理事長のドミニック・ストラウス・カーン(以後DSKの略称)がNYの高級ホテルの女性従業員に対する強姦容疑で逮捕された前代未聞の事件。フランスのマスコミは大騒ぎである。事件の真相はまだ分からない。しかし、報道の仕方と社会党の一部幹部の発言には腹が立つ。

それでこれを書く事にした。不快なのは被害届を出した女性は無視しDSKを擁護する傾向が顕著だからである。既に女が勝手に作り上げた狂言だという先入観を与えかねないものだ。同じフランス人だからなのか、それとも社会党の有力者で大統領候補だからなのか。まるで被害者はDSKの方といわんばかりである。被害届を出した女は貧しいアフリカギニア出身の移民。ムスリムで15歳の娘の母親だという。身長が180cmの美人とも伝えられている。

一方のDSKはユダヤ人で大変な金持ちだ。同氏の女好きはフランスの一部上流社交界ではよく知られていたらしい。インタビューにいって犯されそうになったという女性ジャーナリストの証言も出た。

前回の大統領選挙でサルコジと争った社会党の有力女議員セゴレーヌ・ロワイヤルのTVインタビューの発言にはあきれ返った。被害届を出した女性は完全無視、終始一貫DSKと家族への同情を表明していた。また有名人哲学者ベルナール・ヘンリ・レビは美男子で芸能人みたいな活動をしている男だが、「これは陰謀だ」と決めつけた。彼はユダヤ人でフランスのリビア攻撃を陰でお膳立てしともいわれる。左翼だがサルコジ大統領とは同じユダヤ人系という事でつながっているようだ。

文化相だったジャック・ラングは「過去に13歳の少女を強姦した容疑で告訴されていたポランスキーを引き渡さなかったから、アメリカフランスに仕返した」といってのけた。

男色愛好者である同氏の愛人だった日本人美青年から乱交パーティに参加した話を聞いた事がある。人気の若い女の前には順番を待つ列が出来ていたという話は面白かったが。

現文化大臣のF・ミッテランF・ミッテランはバンコックで男色買春が暴露された事がある。パリ市長は男色を公言している。

更に社会党の幹部議員である黒人アレン・デジ―ルは「サルコジ大統領が釈放に向けて働きかけるべき」とまでいった。どうしてこうした発言をしたり,、異常性愛者でも世論に叩かれず平気でいられるのだろうか。フランスではプライベートと仕事の間にはっきりと一線が引かれているからだといわれるが。それにしてもと思う。倫理を外せば今回の事件もセックスの話でしかなくなる。内心そう思っているフランス人も多いかも知れない。

TV報道も同氏への同情が目立つ。アメリカのDSKの身柄の扱い方も批判している。DSKが米国の警察に不当にいじめられているみたいだ。犯罪の容疑者は誰も同じ扱いをするのは当然。それが民主主義というものだろう。そんな中で特にDSKを厳しく批判しているのは極右政党FN女党首マリンヌ・ペンである。彼女は言う。「既にこうした事件の容疑者になったという事だけで大統領候補としては失格だ。政敵を遠ざける為にFMIの理事長に押したサルコジ大統領の責任も思い。病的な女好きなのは誰もが知っていた。特権階級が仲間の権力者を守ろうとしている」。その指摘には説得力を感じてしまう。

フランスのエリートが下層民を軽蔑しているのは確かである。

彼らエリートは例えば事務所でコピーをとるなぞ「下々」のやる事には手を絶対に出さない。どんな場合でも工員と一緒に作業着を着たりも絶対にしない。どこが社会党なのかと思う。

しかし、普通フランスで極右FNの意見の共鳴するなどといったら大変だ。馬鹿扱い、仲間外れにされてしまう。反ユダヤ人発言も禁句である。すぐにナチスと一緒にされ弾劾を浴び下手をすれば裁判にかけられる。だが投票は秘密だからFNの支持率は伸び最近は躍進が著しい。

加えて、フランスには「ソファーでのプロモーション」というセックスを売り物に社会上昇をしていく女の生き方を表わす慣用句もある。好色に対して寛容なのだ。サド侯爵やジルドレ公爵といった人物も出たお国柄である。

フランスではロシアのように権力と結託した特権階級がいて“なんでも手に入れられる生活“をしている。有力週刊誌ヌーベルオブセルバトワ―ルは今週号でそういう特集を組んだ。どうやらフランスの支配中枢層は腐敗し切っているらしい。フランスは今デカダンスである。

夜中シャンゼリゼ大通りを漁れば綺麗な売春婦がいくらでも見つかる。商取引きで女からセックスの快楽を買うのは悪とは思わない。しかし、カネや権力で女を犯すのは最悪だ。

かつて一緒に会社を創立したフランス人の社長に横領容疑の刑事裁判を仕掛けられた。それがきっかけで鬱―精神科入院-転落となったのだが、幾らでも汚い手を使ってきた。「ここまでえげつないことができるのか」と信じられなかった。

今回の事件に対する社会党一部有力者とマスコミの反応を見ていて、改めてフランス人には汚い奴が多いなと痛感した。普通日本人の倫理観を持っている人が少ないと思う。

特に特権階層フランス人のご都合主義、人権主義の仮面に隠された獣性。変わり身の早さを恥じない精神性。醜悪そのものである。フランス人はよく選別して付き合わないひどい目に合う。それは保障出来ます。

この強姦容疑事件は金持ちの権力者対アフリカ系移民の貧しき美女という図式らしいから、真相は多分「藪の中」で終わる可能性が高そう。それに女の境遇と経済力ではとても対等に戦い切れないだろう。最後は示談という決着で終わるのかもしれない。DSKは偽善の仮面を被って犠牲者よろしくフランスに帰ってくる。そういう予感がある。()

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